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2008年02月09日

1 追行

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翻羽翼后

1追行



 東伯淡巳智春の東暦五十六年春は四月、武士である辻勇は東国の大都東慧を離れ、騎馬を以て北方へと向かった。
 北へ向かう事、三十日。景色は荒涼なものにと変わり、人家も見かけなくなり、目的の地である北邊千人浜に至った。
 千人浜。百年ほど前の海神の役の際、守応皇子が旗下の千人と共に、紘土へと渡ったとされる浜だ。旅だったとされる春。晴天で、波は低く、追い風を受けて、大陸には一兵の損失もなくたどり着いたという。その後の皇子の勝利を示したとされる事跡だ。
 同じ四月というのに辻の前に広がる海は荒れては白く泡立つ、空はただ暗く緞帳をかけたとでもいうようだった。
 辻は小さく息を吐いた。
「これも姫の為だ」
 辻が一人北邊へと赴いたのは、東伯の娘である琴姫の為だ。『東伯の琴の響きは鯰並み』と、地震を起こす鯰と同じ調子で語られるほど、勝手気ままに騒がしていると伝えられていた。それが誇張された伝聞であると知るものは少なく、辻もその一人だ。
 辻の知る限り、琴姫はわがままというよりは、猛々しく、男子であればという東伯の嘆きも当然な活発な少女である。時折、怒気を面に出して周りを騒がすこともあるが、十という年を考えれば当然の事だ。
 琴姫は身分を隠して市中を闊歩するのが日課であり、その護衛が辻の役目であった。ある夜の事、琴姫は一人の占い師に出会った。
 その占い師は、琴姫のただならぬ悪運について語り、それを覆らせたくば、北方に至り、女神に逢えというのだ。
 琴姫は一笑に附した。
 だが、その夜以来、琴姫の周りでは、不祥が相次いだ。
 大事にしていた乳母が病にかかり、大切にしていた桜は枯れ、お気にいりの馬は病み細り命を失った。そして、市中を回る際に隠れ家にしていた家が火事となった。
 これだけ重なれば、姫もまた笑ってはいなかった。
 だが、大身の姫なれば、一人、北へ行くことは叶わず、辻にその役目が回ってきたのだ。女神とやらに会って話を聞ければよし、できるものならば自分の前にまで連れて来いと。
 辻には辻の考えもあり、姫のその命に従う事にした。
 女神が何らかの比喩であるのは想像がついた。昴国の軍師橘漣花が『溟の女神』と呼ばれるようにこの地にも傑出した人物がおり女神と呼ばれるのだろうと。そう考え、来る前に調べたが、北邊の文物は東慧には伝わらず、書物に残るのは女神の伝承が一つだけであった。
 『守応皇子が海を渡る際に、日女尊が現れ、海路を守護した。』
 伝説ではあるが、もしかしたら何か解るかもしれない。そう思い伝説の残る千人浜に来たのだ。
 海に近いところの木々はまばらなものだが、北ということもあり、風に押さえ込まれるように小さくゆがんでいた。
 空に朱色が混じり始めた。もう夜が近いのだ。
 昨夜宿を借りた村に戻るには、まるまる馬で一日走らなくてはならない。野宿するところを探さなければいけない。
 辻は辺りを探し始めた。
 漁師の小屋らしきものを見つけた時には既に暗くなったいた。
 馬を近くの樹に縛り、小屋に入った。
 中には囲炉裏があり、部屋の隅には薪が積まれていた。懐から火打ち石を取り出して、薪に火をつけた。風が入ってくる場所を避けて囲炉裏の側に陣取った。
 座っているうちに疲れが出てきたのか体が重い。
 暫くうとうとしたつもりだったが、薪が随分と減っている。辻は薪を囲炉裏にくべた。
 馬が一際高い声を上げた。
 東慧からこの方乗っている馬であったが聞いたことない声だ。
 悲鳴混じりのその声に辻は外に飛び出した。
 馬の姿はなくなっていた。
 馬がいた地面は深くえぐれていた。抉れはないものの海に向かい何かが通った筋のようなものが見えた。
 海から来た何かが馬を襲った。そしてそれは未だここにいる。
 星明かりの微かな光の中では見通せない。
 辻は腰の刀、兼重征泰に手を伸ばした。
 どこかで何かが動いている。目が慣れてきたらそこに仕掛ければ。
 そう思った瞬間、来た。
 海から何かが吹き出してくる。それは砂を吹き飛ばしながら突き刺さる。水の塊だった。
 敵は海だ。
 そう思いながら海から離れる。だが、そう思ったところであの水を飛ばすものから逃れることはできるか疑問だった。
 狙いは海の中のものの位置をつかむことだ。位置をつかめればよし。掴めないにせよ相手の動きを見ることができれば。
 海の中から何かがはい出してくる。それは辻を一気にしとめようというのか大きく潮をまき散らしながら飛び上がった。それは巨大な海月のようなものだった。茶色に透けた体の中で馬が苦しげに動いているのが見えた。
 腰を低くして走ろうとした時、砂のせいで足下が揺らいだ。
 走るのが遅れた。
 星明かりがかげった。
 頭上には巨大な水が迫っていた。
 辻は兼重征泰を抜いた。居合いで放たれた刃は空を斬っていた。
 決して届かぬ間合い。刃は触れていない。
 しかし、水は飛沫となって砕け散り、はい出してきたものも両断していた。馬の体が砂にたたき付けられる。既に命はないのか声一つあげない。
 海月のようなと思った通り、それは水でできていたようで、肉のようなものは見あたらない。
 辻は馬に近寄ると顔を歪めた。
「これは」
 馬は生きている時と変わらぬ姿をしていた。だが、その身は、半ば琥珀と化していた。
posted by 作者 at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 翻羽翼后| edit
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